kokugotokyouiku’s diary

国語と教育。文学。ココらへんについて、(超初心者が)考えていることをゆるゆると書いていきます。ちなみに筆者は4月から新米の高校国語教員。

「DESTINY 鎌倉ものがたり」シームレス構造の世界

「DESTINY 鎌倉ものがたり」見てきました(※ネタバレ注意)

 普段、あまり映画を見ないのですが、見てきました。実は、大学に入ってから何度か鎌倉に行く機会があって、なんとなく親しみを感じ始めていたところでした。江ノ電もちょこちょこ乗っていました。

 予告映像を見た時点で、「江ノ電っぽいものが宙に浮いてる!」「宇多田ヒカルのテーマ曲めっちゃいい!」という感動があり、これは見なくては、という思いに駆られ見てきました。(「思いに駆られ」てから数ヶ月後の鑑賞。。。)

古都鎌倉の非日常と日常

 魔物や神様も住まう、古き良き街、鎌倉。「普通の」人間と非人間が何気なく共存している世界観は、非日常的でもあるけれど、日常的生活をも描き出す源泉となっています。確かに、家の中にシュレックばりの魔物(本田の死後)が出現することは非日常といえます。ですが、どことなく「変わらない毎日」にも感じられます。亜希子も、嫁ぎ始めは戸惑うものの、すぐに魔物や神様との接触に慣れてしまいます。こういう亜希子のキャラクターも相俟って、どこかのほほんとした「日常感」を味わうことができます。

 もちろん、正和が亜希子を助けに、黄泉の国へ向かうシーンや、天頭鬼との戦闘シーンは非日常です。でも、物語全体に日常的温かさを感じていたのは僕だけではないでしょう。くしくも、テーマソング「あなた」を作った宇多田ヒカルは、

どのような環境でもそこに住めばそれが日常になるということ*1

を想像して、「あなた」を制作したとコメントしています。

日常と非日常とのシームレス構造

 非日常と日常の垣根が取り払われている。これはCGと実写映像の見事なコラボレーションとも関係しているのではないでしょうか。例えば、江ノ電が黄泉送りの電車化していて、空を飛ぶ場面。もうとにかく映像が美しいんですが、実物(電車)と空想上の物体(線路、景色)が、綺麗に融合されています。気を抜いていると、どこからどこまでがCGなのかわからなくなってしまうぐらい。ただ、僕はド素人で、どれがCG、とか全くわからないんですが^^;

「次元」の垣根を取り払う魅力

 本来、二律背反であったものが融合する世界。これが最近増えているような気がします。先程は、CGと実写映像の融合について話しましたが、他にも探せば色々ありそう。例えば、「2.5次元」という言葉が挙げられます。テニミュやハイキューの舞台など、プロジェクションマッピングを駆使して、2次元と3次元の垣根を取り払おうとした作品は数多くあるのではないでしょうか。そのシームレス構造には大きな驚きがあります。異質なもの同士の連動。こういうものを創造するってスゴイ…。まさに一色正和並みの「想像力」の勝負、という世界ですかね…^^;